日本では、江戸時代にハナショウブやサクラソウ、サクラ、ツツジなど多くの園芸植物が発展しました。これらの伝統的な園芸植物について、あるベテラン園芸家は、日本のハナショウブやサクラソウとヨーロッパ産のジャーマンアイリスやプリムラ・オーリキュラを比較して「日本では個々の自生植物を徹底的に追及してその実生を繰り返し、差異を調べて、新品種を作り」「西洋では原種の複雑な交配や交雑種によって新品種を生み出している」と書いています。
なぜハナショウブ、サクラソウなどは1種類の中での実生が繰り返されてきたのでしょうか?実は現在でもこれらは同属の他種ととても交雑しにくい植物です。サクラソウは日本国内に同属のクリンソウ、カッコソウ、オオサクラソウなどがありますが、自然交雑種は発見されず、人工でも胚培養などの技術を使わないと交配できないようです。ハナショウブもヨーロッパ産のキショウブとの交配が近年実現しているだけで、アヤメ、カキツバタ、ヒオウギアヤメなどの日本産の原種同士の交配は自然状態では非常にまれです。種間交配を「しなかった」のではなく「できなかった」のです。東アジアや東欧に多いBearded iris(ジャーマンアイリスの仲間)は種間交配が容易で、人為交配の開始以前に自然や栽培下で多くの雑種が生じていたことが知られています。プリムラ・オーリキュラも雑種起源で、最初は自然交雑種とそのランダムな実生から園芸化が始まったと思われます。
その他、外来種であるアサガオは国内に交配できる同属のものがなかったこと、同じく梅、キク、シャクヤク、ボタンなどははじめから高度に改良された種が渡来し、国内産の同属原種はいずれも花が小さく大輪性を求める育種の方向性にふさわしくなかったからではないでしょうか。キクではイソギクなどとの自然交雑が知られていますが、園芸的な価値は認められなかったようです。これらの渡来植物も日本で大いに発展しました。
実際には、日本産でも雑種ができやすい植物では、交雑種が大いに利用されてきました。ツバキでは、近年になって桃山時代に作出されたとされる『有楽』が中国産のピタールツバキとの雑種であることが明らかになりました。
また、ツバキの園芸品種の多くはヤブツバキとユキツバキとの交雑により生み出されたと推定されています。ヤブツバキとユキツバキが別種なのか亜種なのか、見解は分かれますが、「形態的には別種とみなすほど差があるが、生殖的には分かれていない」と考えていいのではないでしょうか。
同じツバキ属のサザンカの仲間では、原種からの選抜のほか、ヤブツバキとの交雑種カンツバキ、ハルサザンカが江戸時代から知られ、サザンカの仲間として明治時代以降現代までさらに大きな発展をしました。
サクラでは、18世紀初めの花壇地錦抄に46品種の記載があることなどから、江戸時代の初期には既に多数の品種があり、幕末にはその数倍に達していたようです。サトザクラの多くはヤマザクラとオオシマザクラの交雑種であり、その他マメザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、チョウジザクラなどの種間交雑が報告されています。
ツツジでは17世紀から「霧島つつじ」が知られていますが、これはヤマツツジとミヤマキリシマの交雑種と推定されています。その後、さらにサタツツジ・モチツツジ・キシツツジなどとの交雑、中国や琉球列島産の原種の関与が考えられる大輪のリュウキュウ系品種が発展し、幕末には今日のツツジの品種群が成立したようです。リュウキュウ系のオオムラサキや幕末から育種されたクルメツツジなどは、現在でも大量に使用される緑化樹木となっています。
ツバキの他にも、サクラでは琉球/中国産のカンヒザクラが用いられていて、これら主要花木ではすべて当時の海外産原種との雑種があることになります。
欧米では早くから日本の園芸植物を高く評価し、開国以前からのシーボルトによる幅広い野生や園芸植物の収集を始め、明治時代には斑入り植物やキク、ツツジ、ハナショウブなどが輸出され、イギリスへのイングラムによる多様なサクラの導入もありました。
現在、世界中の園芸植物で、原種の樹高が10m以上にもなる花木で100以上の品種があるものはサクラ、ツバキだけであり、その大部分が江戸時代からの品種です。西欧の代表的な花木である低木のバラでさえ、19世紀以前の品種は極めて限られています。西欧中心に改良された花木で、ある程度の品種があるものは、バラを除けば19世紀からのシャクナゲ、20世紀後半からのマグノリアぐらいです。古くからの果樹のスモモやリンゴでも、花を観賞するものは、ツバキやサクラ、ウメなどに比べればわずかな種類しかありません。近年、ツバキやサクラでは欧米で新品種が作出されていますが、その多くの基礎になっているのは日本の原種や伝統品種です。さらに低木のツツジ、観葉樹木のカエデ類も合わせると江戸のレガシーが世界の庭園や都市を彩っているのです。
開国期(1860年前後)には、既に主要な花卉の改良が進んでいた日本に比べ、欧米ではバラ、ダリア、アイリスなどの品種改良がやっと始まった時代でした(バラでは1800年代初め、ダリアでは八重咲は1800年代初め、ポンポン咲きは1829年、カクタス咲きが1874年頃に出現、ジャーマンアイリスの近代的な育種が始まったのが1820年頃)。既に高度に改良された園芸品種が多数あった日本は、欧米人にとって驚異的だったのでしょう。
江戸時代の園芸品種がどのようにして生み出されたか、その実態は明らかになっていません。おそらく植木屋、武家屋敷などには自然や栽培下で生じた鑑賞価値が高いものが集められ、さらに海外から導入されたものも加わって生じた多様性に満ちた集積ができて、そこから、実生でより変わったものが生まれ、さらに実生や選別が繰り返されたのではないでしょうか。
このような旧式の育種を、欧米の技術を学んだ専門家が非科学的として退けた明治の文明開化の時代に「日本は単一種、海外は種間交配」という説ができたようです。それが現在でも実態に反して通用しているのではないでしょうか。
江戸時代の日本は複数の原種の交雑による品種の作出でも最先端でした。「近代科学的手法ではないけれども有効だった」、日本の園芸の歴史を、例えば近代医学に対する漢方医学のようなものとして見直してみる必要があるのではないでしょうか。
緑花文化士 鈴木 泰
(2023年10月掲載)
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