公園をより楽しく、有効につかってもらうために、公園との関わりの深い方々への取材を通して、皆さまに役立つ情報をお届けします。
◆第15回は、埼玉県朝霞市基地跡地暫定利用広場「朝霞の森」の運営委員長の大野良夫さんのインタビューです。約3haの「朝霞の森」の敷地は、戦前は旧陸軍施設、戦後は米軍の基地として利用されてきました。返還後、敷地の一部に国が国家公務員宿舎の建設を計画しましたが、市民の強い反対運動と世論の批判を受け中止。その後、朝霞市は国と管理委託契約を結び、暫定利用広場として市民に開放されました。幾多の紆余曲折を経て、2012年11月、市民のための広場「朝霞の森」が誕生しました。「朝霞の森」の管理・運営は市民13人による運営委員会が担っています。「朝霞の森」がオープンするまでの道のりと、その後の活動について大野さんにお話をうかがいました。
基地跡地暫定利用広場「朝霞の森」は、東武東上線朝霞駅から徒歩15分程、市役所に近い中心市街地に位置しています。緑あふれる広大な敷地には遊具などはありませんが、平日の午前中は保育園児や乳幼児を連れたお母さんたちが、午後は学校を終えた小学生で賑わい、休日はボール遊びをする子供から、散歩を楽しむ高齢者までの姿を見かけます。定期的に開催されるプレーパークでは、どろんこ遊びや木登りをしている子供たちの歓声が響き渡っています。「朝霞の森」は2016年11月でオープンして4年目を迎えます。今では幅広い層の市民の憩いと交流の広場ですが、ここに至るまでには長い年月が掛かりました。
米軍は、1945年(昭和20)から、旧日本陸軍があった現在の朝霞、和光、新座3市と東京都練馬区にまたがる土地に進駐していました。基地近くの小学校では、低空で飛ぶヘリの騒音のため授業にならなかった歴史などもあり、住民による基地反対運動が広まりました。1986(昭和61)年には、日本に全面返還され、朝霞の街から米軍基地はなくなりました。
基地の跡地は、その後25年以上利用されなかったため、豊かな自然の森に変わりました。長い間、国は「原則、留保地」としていましたが、2003(平成15)年に「有効活用」に方針転換されたことで、市は基地跡地利用の整備計画に入ります。この計画作成には、市民も一緒に協議できる組織・市民懇談会(以下、懇談会)を発足しました。
私の自宅は基地跡地近くにあり、会社員だった当時、懇談会に応募したのをきっかけに、「朝霞の森」との関わりがはじまります。
懇談会には、定員100人に対して160人の応募者があり、市民の基地跡地への関心の高さがうかがえました。また、最初から市民が企画に参加し、行政とともに基地跡地の将来像を考えていくという市の取り組みも先進的でした。
懇談会は1年間で計18回開催され、市民目線での意見も多く盛り込まれた「朝霞市基地跡地整備計画書」が作成されました。街の中心にあるシンボル的存在として、基地跡地全体を「みどりの公園」として提案したのです。
ところが、私たちが市と共に公園づくりの構想を描いていた最中の2006(平成16)年に、国家公務員宿舎(当初3000戸)の建設計画が浮上しました。この公務員宿舎建設を含む計画書は広く市民に公開され、パブリックコメントを実施すると600件以上の意見が寄せられました。多くは公務員宿舎計画に反対するものでした。
私は懇談会で知り会えた多くの市民と建設反対の活動を続けました。
そして一度は宿舎の着工が開始され、国によって樹木の伐採や通路の整備が行われましたが、「豊かな緑を守りたい」という市民の熱意が世論やマスメディアを動かし、2011年12月に建設中止が発表されました。
公務員宿舎建設への反対活動が続く中で、市は2010(平成22)年に「基地跡地公園・シンボルロード整備基本計画」を策定するとともに、市民が公園づくりを具体的に考えるための先進事例視察とワークショップを企画しメンバーを募集しました。若い層のメンバーも取り込もうと活動日は休日に設定。小さな子供を持つ若い夫婦からシニア世代までの39人が集まり、名称:「あさかの公園で楽しみ隊」(以下、「楽しみ隊」)が結成されました。オブザーバーとして有識者にも参加してもらい、まずは先進的な公園を視察して、運営や管理手法などを学ぶことになりました。
視察する公園は、3つのテーマに沿った6か所の公園が決まりました。訪問先には、予めこちらの目的と4つの取材項目①公園のビジョン(目標、コンセプト)②ネットワークづくり(市民と行政、市民同士)③公園づくり(公園の空間)④管理運営方法(日常の管理、イベント企画)-を伝えました。
それぞれ特徴のある6公園の担当者からはとても丁寧な説明をしていただき、「楽しみ隊」メンバーも積極的な意見交換ができました。各視察を受けてのワークショップでは“やってみたいこと”“できること”を話し合い、まとめていきました。この活動は、その後の「朝霞の森」の方向性を決定するうえでの、重要な基礎になりました。
「楽しみ隊」は約1年間の活動内容をまとめた報告会を開催しました。報告会では、視察した各公園の紹介と、これから作る公園に参考にすべき点(使い方から管理運営まで)などについて、多くの市民の前で発表しました。
そして宿舎の建設中止が発表されると、基地跡地19.4ha(当時)のうち、国家公務員宿舎の建設が予定されていた敷地(約3ha)の利用が決まるまで、市は暫定的に市民が利用できるよう国に要望しました。朝霞市と国は、2012(平成24)年8月、管理委託契約を締結。暫定利用が決まり、いよいよ本格的に公園づくりがスタートします。
市は、基地跡地の利用が暫定的ということもあって、さまざまな法律の規制を受ける「都市公園」ではなく、自由な利用によって活動の可能性が広がる「広場」に位置づけました。
2012(平成24)年11月4日のオープンに向けて、市と市民(自由参加)による「管理運営準備会議」(計8回)を開き、利用ルールや運営の仕方などを話し合いました。市民からは、費用を掛けず安全に楽しく使うためのルールにして、できるだけ制約条件は設けず、自由に使える広場したいという意見があがりました。
また、現地を初めて見た市民からは、さまざまな問題点や要望が寄せられましたが、市と共に話し合いを重ねて解決の道を探りました。お金を掛けなくても、市民のアイデアと行動力で着々と広場は整備されていきました。
広場のゾーニングについては、バットが使えるエリア、ボール遊びができるエリア、水場に近く外からも見える場所をバーベキューのエリアにするなど、市民が利用する立場になって決めました。そして管理方針や火気使用のルールなども含めた広場のルールと憲章を作成しました。
広場の憲章は、「使いながらつくる、つくりながら考える」~市民が自己責任で利用する広場~です。
広場の愛称は、公募で集まった約800候補の中から市民による投票によって20候補に絞られ、市の最終選考の結果「朝霞の森」に決まりました。
2012年11月4日、長い年月を経て、市民参加による手作りの広場「朝霞の森」が誕生しました。オープン当日は約800人が来場。オープニングセレモニーの後は、キャッチボールやドングリ拾い、木登り、アスファルトの道路跡にチョークで自由に絵を描く子供から自然散策する大人まで、それぞれが自由に楽しみました。
「朝霞の森」の日常清掃は、シルバー人材センター(市が依頼)から派遣された方が午前9時から夕方5時まで行い、清掃の他、見回りや来場者のカウントなども担当しています。敷地内には建物が建てられないため、可動式のトレーラーハウスを利用して管理員詰所にしています。
実際に使い始めると、いくつかの課題や要望がでてきました。
まず、オープン初日に自転車と子供の接触事故が起きました。市は急きょ「中学生以上の方の自転車の乗り入れはやめてください」という張り紙をしました。しかし、市民の意見で「やめてください」ではなく「事故が起きたので注意しましょう」に変えました。朝霞の森では、気が付いた大人が「声を掛け合う」ことを大切にしています。市民一人ひとりが思いやりの心で、子供たちを見守っていきたいと考えています。
また、市民からの要望で最も多かったのがトイレの問題です。広場内にはトイレがなく、隣接する青葉台公園のトイレの利用が不便だとして簡易トイレの設置案が浮上しました。しかし管理や費用の問題を重視して、青葉台公園のトイレをもっと目立つように表示しようということに落ち着きました。「朝霞の森」に設置した意見箱には、オープン当初、トイレやベンチ、ペットのマナーやドッグランの要望などの意見が寄せられましたが、市と市民で話し合いを行い、一つずつ、原則である「使いながら考える、考えながらつくっていく」を実践して問題解決に努めています。
「朝霞の森」がオープンしてから一周年を機に、「朝霞の森運営委員会」による、より市民主体となる管理運営に移行しました。自ら応募した市民と「朝霞の森」を定期的に利用する団体の代表者による運営委員と市の担当者が月に1回運営委員会を開催して、意見交換やルールや方針などを話し合い、広く市民が参加できる意見交換及び合意形成の場である朝霞の森運営会議に諮っています。2015(平成27)年には、市と市民の担当する範囲を検討し、円滑に管理運営ができるように改めました。実際の管理運営は利用団体が分担したり、市民参加のイベント等を実施して行っています。
2016年11月現在、運営委員は13人で、構成は男性10人、女性3人、30~40歳代が2割、8割が60代です。私は発足時から、委員長を務めています。結論は急がず、合意が図れたものから実行していくのが、「朝霞の森」を運営する秘訣の一つであり、「基地跡地は市民のために」という市のスタンスと柔軟性のある考え方、市民の力が結束した結果が「朝霞の森」だと思っています。
「朝霞の森」では、園庭のない保育園が大勢の園児を連れて来たり、いくつかの団体が子供の遊びや子育て支援の活動をしています。
活動のメインになっているNPO法人「あさかプレーパークの会」は、毎月第2火曜日~日曜日までの6日間連続で開催しています。何もない広場だからこそ、子供たちが自由な発想で遊びを楽しんでいます。どろんこ遊び、ブルーシートを利用した手作りのプール、流しそうめんなど、子供たちはプレーパークでの遊びが大好きです。
プレーパークと共に活動している未就学児(0~5歳)の子育て支援組織「トカイナカ」は、子育て中の母親同士のコミュニティの場にもなっています。「まんぷくSUN」は、小学生を対象に自然の中でのアートセラピーを開催し、子供たちの独創性や創造性を育む取り組みを行っています。
また、「朝霞の森」では、「スラックライン」の競技を見ることができます。スラックラインとは、幅5㎝のゆるい(スラック)綱の上でパフォーマンスを行う競技です。一般の都市公園等では規制が厳しく、会場確保が難しいようですが、「朝霞の森」では可能です。全国のスラックライン愛好者にとって「朝霞の森」は聖地になっているようです。
現在、利用団体の皆さんは、「朝霞の森」の活動に積極的に関わってもらえる頼りになる存在なので、「朝霞の森」を運営する次世代の若い人材としても大いに期待しています。
2008年に市主催の基地跡地の見学会に参加した際、森となった跡地の現状を知らない市民が多かったことから、見学会のメンバーと森の中の様子を記録した基地時代の写真を集めた写真展を開催しました。私は初めて現地に足を踏み入れたとき、自然に形成された手つかずの森の素晴らしさに圧倒されました。朝霞市にとって貴重な自然の森は、後世に残すべきだと強く感じ、写真展終了後も、基地跡地の情報を継続して発信していきたいという思いから「朝霞基地跡地の自然を守る会」(以下、「自然を守る会」)を発足しました。会員数は30人、私が会長を務め、毎月1回定例会を行っています。
「自然を守る会」は、「朝霞の森」の維持管理や植物調査、植樹、ドングリ見守り隊の活動など、植物や生き物に関わる活動の事務局を担っています。
子供たちそして親御さんにも自然に触れて興味をもってもらう企画として、春は「植物観察会」、夏は「虫捕り観察会」を開催しています。2016年夏、市民企画講座として「虫捕り観察会」を開いた際は、約300人の親子が集まりました。「観察会」には、埼玉県生態系保護協会から講師を招いて開催します。私たち会員も、専門家の話を聞いて常に勉強することを心掛けています。
私は埼玉県旧東吾野村(現飯能市)で生まれ育ちました。子供時代は自然豊かな山や川が遊び場で、昆虫取りや野鳥探しなどをして遊んだ思い出が、今でも記憶に残っています。「朝霞の森」は、都会の中にある貴重な緑豊かな森です。貴重種ではない野草であっても、春、夏、秋によって自生する植物が異なります。手付かずだった自然の森だからこそ、約40種類にものぼる昆虫が生息しています。私たちは、子供たちに「朝霞の森」での経験が大人になっても記憶に残るような活動をしていきたいと思っています。
「朝霞の森」の利用者は、2016年6月で18万人を超えました。今では子供たちだけに留まらず、市の総合防災訓練や年末年始の特別警戒出発式、日本青年会議所の大会など、さまざまな団体の行事にも利用されるようになりました。さらに小・中学校での学習の場としても、活用してもらえることを期待しています。
11月12日(土)は、「朝霞の森」で秋まつりを開催します。今後は「お月見」や「夜の虫の観察会」など、子供から大人までが楽しめる夜のイベントも企画していきたいと考えています。
最終的には「朝霞の森」の活動から、朝霞市全体の活性化と街づくりにつながることを願っています。
■サイト・関連情報
朝霞市「朝霞の森」
http://www.city.asaka.lg.jp/soshiki/52/asakanomori-kaien.html
「朝霞の森」
https://www.facebook.com/%E6%9C%9D%E9%9C%9E%E3%81%AE%E6%A3%AE-1456057334663073/
NPO法人「あさかプレーパークの会」
トカイナカ
NPO法人子ども未来研究所「アートの輝き まんぷくSUN」
https://www.facebook.com/Art.Manpukusun/?fref=ts
ブログ 朝霞基地跡地問題
http://blogs.yahoo.co.jp/asaka_kichimondai/69651527.html
※文中に出てくる所属、肩書等は、取材時のものです。2016年11月掲載
46 鉄道ファンによる、公園を軸としたまちづくり(一之宮公園:神奈川県寒川町)
45 手ごわい放置竹林から広がる可能性と人のつながり(籔の傍:京都府向日市)
44 公園で行う表現活動は「誰かを力づけている」(せりがや冒険遊び場:東京都町田市)
43 市民団体の力で「やりたいこと」を実現(あぐりの丘:長崎県長崎市)
42 自然の中での主体的な遊びが、学びと成長につながる(山田緑地:福岡県北九州市)
41 次世代に、そして子供たちへ、遊び場づくりのバトンをつなげたい(徳島県阿波市阿波町)
40 3公園でキャンプ まちづくりとして活用(小山総合公園、生井桜づつみ公園、城山公園:栃木県小山市)
39 科学を通じて地域の人々と研究者をつなげる(千葉県柏市)
38 北海道の公園で「やってみたい!」を実現(恵庭ふるさと公園:恵庭市)
37 土器づくりを通じて縄文文化を学ぶ(三ツ池公園:川崎市)
36 公園を地域住民の手で心地よい場所に変えていく(熊野公園:東村山市)
35 次世代のために故郷の自然環境を守り、伝えていく(亀山里山公園「みちくさ」:亀山市)
34 公園は楽しい学びの場!「サバイバルピクニック」、「地域住民による公園づくり」(都立野川公園:東京都)
33 外遊びの楽しさを伝えていく(柏崎・夢の森公園:柏崎市)
32 筑豊の自然を楽しむ会(健康の森公園 他:飯塚市)
31 自然を愛する仲間との森づくりボランティア(びわこ地球市民の森:守山市)
30 野外人形劇で、公園に広がった笑い声(水前寺江津湖公園:熊本市)
29 公園での新たな遊び「珍樹探し」(国営昭和記念公園:立川市)
28 子供たちの居場所で、寄り添い、見守り続ける(柳島公園:富士市)
27 市民とともに育て続ける公園を目指して(安満遺跡公園:高槻市)
26 砂場から広がった子供たちの笑顔(福島市内 他:福島市)
25 造園業者と子供たちがつくる 公園でのコミュニティ(京坪川河川公園(オレンジパーク):舟橋村)
24 子供と子育て世代の目線で再生されたゴーカートのある公園(桂公園:十日町市)
23 市民による、市民のための花火大会(伊勢原市総合運動公園:伊勢原市)
22 かかしで地域を活性化 海外も注目する山里(かかしの里:三好市)
21 市民の手によって「つくり続ける公園」(みなとのもり公園(神戸震災復興記念公園):神戸市)
20 下町に残る、手つかずの自然を守り、育てる(尾久の原公園:荒川区)
19 絵本、ケルナー広場を通して、子供たちの成長を見守る(ケルナー広場:高崎市)
18 生かされていることを実感 自然と一体になれるサップヨガ(国営木曽三川公園ワイルドネイチャープラザ:稲沢市)
17 震災後、市民の手によって再生された西公園(西公園:仙台市)
16 住民の心をつないだ3万個のキャンドル(大栗川公園:八王子市)
15 市民がつくり、見守る広場(朝霞の森:朝霞市)
14 満月BARで公園の非日常を楽しむ(西川緑道公園:北区)
13 わらアートで、地域に笑顔と一体感を(上堰潟公園:西蒲区)
12 再生物語を支えるボランティア組織「MEG」(七ツ洞公園:水戸市)
11 公園が図書館に変わる「敷島。本の森」(敷島公園:前橋市)
10 公園に地域の人が集う「はじっこまつり」(和田公園:杉並区和田)
09 トンボの魅力を子供たちに伝える(西岡公園:札幌市)
08 「朝市」で公園がコミュニケーションの場に(茅ヶ崎公園野球場:茅ヶ崎市)
07 「スポーツ鬼ごっこ」を通じて 子供たちの居場所づくりを実現(しらかた広場:松江市)
06 高齢者、障がい者に公園案内 ボランティア側も癒される(大泉緑地:堺市)
05 仲間と共に成長してきたみはまプレーパーク(みはまプレーパーク:千葉市)
04 地域で子供たちを育成・指導 地元の公園でイルミネーション作り(宇部市ときわ公園:宇部市)
03 公園がアートな空間に生まれ変わる日 あそびの重要性を考える「アートパーク」(松戸中央公園:松戸市)
02 子供たちにワークショップで地域貢献 公園での活動は発見の連続(松戸中央公園:松戸市)
01 自然環境は、利用しながら保全する(国営ひたち海浜公園:ひたちなか市)