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第9回 公園文化を語る

「公園文化を語る」は、様々な分野のエキスパートの方々から、公園文化について自由に語っていただくコーナーです。
第9回目は、現国土交通省入省後、主に都市公園の整備を中心とした行政に携わり、沖縄の首里城復元事業、国営吉野ケ里歴史公園計画策定などのプロジェクトの他、日本の伝統園芸植物の保全手法の研究などを進めてきた、東京都市大学環境学部客員教授の加藤真司氏にご寄稿をいただきました。

東京都市大学環境学部客員教授
加藤真司氏
日本の園芸伝統文化

五色の散り椿(地蔵院)

我が国の歴史は、鎌倉時代や江戸時代にように政治の中心都市によって区分されており、その中でも安土桃山時代が織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代を指していることは承知の通りであるが、この桃山が意味するところを殆どの人は知らないのではないだろうか。実は、豊臣秀吉の居城だった伏見城にちなんで安土伏見時代と称するところを、伏見城が桃の名所であったことから敢えて安土桃山時代と名付けたようである。しかし、時代考証上はこの命名は正しくはない。伏見城が桃の名所となったのは、廃城となってから近在の百姓が桃の木を植え始めてからであり、それは江戸時代のことである。秀吉は大の椿好きだったようで大名もこぞって椿の名花を献上し、京都の地蔵院には加藤清正が献上したという五色の散り椿の名木が今も残る。おそらく伏見城には椿は多く植えられていたはずなので、本来ならば安土椿山時代と称すべきだったのかもしれない。

秀吉に限らず、家康も園芸にいそしみ、江戸城には花畠までが設けられていた。戦国大名に花は似つかわしくなさそうだが、どうやら彼らは貴族から繋がるステータスとしての園芸文化に憧れていた節が見受けられる。江戸時代になって太平の世が到来すると、庶民までがこの園芸に熱を上げることになる。もともと日本人は自然を愛でる民族ではあったが、それ以上に多くは投機の対象として園芸が営まれていき、下級武士も糊口をしのぐために庭先で園芸に手を染めていった。日本人の珍品好きもあってか、珍しい品種には多額の値がついた。このため、敢えて育てるのが難しくて珍しい品種が作出されていき、この結果多くの品種が生まれ、それらの優劣を競うために相撲のような番付が頻繁に作成されたほどであった。

変化朝顔(くらしの植物苑:佐倉市)

こうした品種を象徴する最たるものは変化朝顔であろう。もともと虫下しの薬としてアサガオの種が輸入されてきたものであるが、日本人はその花を愛で、ついには原型をとどめないほどまでに花の形態を変えていった。こうした形態は、遺伝的には劣性遺伝子の組み合わせによって生じるために、多くの種子を播き、その中から選びぬかれた個体をさらにかけ合わせていって選抜するといった、およそ遺伝の法則を熟知しなければ為し得ないような手間をかけることになる。しかし、こうした園芸品種の作出技術は各々の園芸家の秘伝として秘匿され、およそ学術的に体系化されることはなかった。変化朝顔の最初の記録は平賀源内の著した「物類ぶつるい品隲ひんしつ」に見受けられるが、それはメンデルが遺伝の法則を発表する100年以上も前のことである。場合によれば遺伝の法則は日本の園芸家によって見出されていた可能性もあったわけであり、返す返すも残念なことである。

江戸時代に興隆を見た園芸文化も、明治維新を迎えてからは斜陽に転じ、今ではその担い手も高齢化の一途をたどっている。新宿御苑で菊の管理をしている環境省の管理者にヒヤリングした際には、あと20年もしたら菊の伝承者はいなくなってしまうのではないかと嘆いていた。担い手だけでなく、深刻なのは貴重な園芸品種が無くなっていくことである。原生自然であれば人の関与を無くせば保全することが可能である。しかし、園芸品種は人の関与が無ければ残すことができない。すなわち残す努力が払われなければ残らないのである。

鷲の尾(カキツバタ)

京都の同志社大学キャンパスの北西あたりはかつては室町幕府の置かれた場所で、そこには尼門跡寺院が散見される。尼門跡寺院とは天皇家にゆかりのある者が住職を務めた尼寺のことであり、天皇家に名花が献上されたことから、今もこれらの寺には名花が秘蔵されている。場所は明かせないが、そうした尼寺の一つから五月初旬に「今はちょうどわしが咲いている」と連絡を受けたことがあった。最初はそれが何の花のことなのか分からなかったが、行って見てみるとそれは今では折鶴と称されるカキツバタだった。江戸時代には「鷲の尾」と呼ばれていた名品である。古い名称が今も受け継がれていたことが意外だったが、それ以上に坪庭に咲く凛とした姿があまりに美しく、思わず鳥肌が立ったことを覚えている。しかし、こうした寺院に園芸植物の専門家がいるわけでもなく、また、今後も伝統園芸に理解のある者が寺を継承するとは限らない。我が国では、バレエやオペラなどの外国の文化振興に対してすら公的支援がなされているにも関わらず、本来日本人が誇りを持って守らなければならない伝統園芸文化については皆無と言っていいほどそうした財政的な支援は見られない。少なくとも都市公園に関与する者として、日本の伝統園芸の保全の必要性は認識していたいものである。

※文中に出てくる所属、肩書等は、掲載時のものです。2017年4月掲載

過去記事一覧
10 都市公園の新たな役割〜生物多様性の創出〜
09 日本の伝統園芸文化
08 リガーデンで庭の魅力を再発見
07 七ツ洞公園再生の仕掛け
06 ランドスケープ遺産の意義
05 公園文化を育てるのはお上に対する反骨精神?
04 公園のスピリチュアル
03 遺跡は保存、利活用、地域に還元してこそ意味をもつ  ~公園でそれを実現させたい~
02 公園市民力と雑木林
01 これからの公園と文化
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