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第17回 震災後、市民の手によって再生された西公園


公園をより楽しく、有効につかってもらうために公園との関わりの深い方々への取材を通して、皆さまに役立つ情報をお届けします。


◆第17回は、公園・夢プラン大賞2016 「実現させた夢」部門に入選した「杜の都・西公園を遊ぼう」を主催した「西公園を遊ぼうプロジェクト」代表の関口怜子さんのインタビューです。
仙台市の中心部にありながら青葉山と広瀬川を望める緑豊かな西公園は、昭和時代に建てられた天文台や図書館など数々の公共施設がなくなったあたりから、公園を利用する人が減少し、さらに東日本大震災後はすっかりさびれた公園になってしまいました。そこで、西公園の歴史や魅力を掘り起こし、活気ある公園に再生したいと市民参加の「西公園を遊ぼうプロジェクト」を立ち上げました。
プロジェクトの代表を務める関口怜子さんに、西公園の歴史からプロジェクト結成の経緯についてお話をうかがいました。

活動の基礎となる創造表現空間「Be I(ビーアイ)」

私は1987(昭和62)年に仙台市内で子供の創造表現空間「ハート&アート空間Be I」(以下、ビーアイ)を設立しました。主に2歳から小・中学生までの子供を対象に、自然、人、モノ、言葉をテーマに、『見る』、『聞く』、『話す』、『描く』、『調理する』といったワークショップを通じて、子供たちの表現力、主体性、創造力などを育む活動を行っています。また、ビーアイの活動の他に、アーティストとしての表現活動や行政機関の各種委員なども務めています。

ビーアイの活動は30年になりますが、幼児の頃から10年以上通い続ける子供も多く、保護者もさまざまなワークショップに参加しています。

大人向けに、料理教室(和食)や表装、金継ぎ講座など、日本古来の伝統文化の技術を伝える企画を行っています。表装では、母親が参加し、子供が描いた絵を掛け軸に仕立てたりすることもあります。ひびや欠けた器を漆で接着し、接着部に金粉や銀粉などを蒔いて装飾する金継ぎ講座は、お気に入りの器が蘇るとともに、新たな美を作り出すと大変人気があります。現在(2017年1月)ビーアイには、2~70歳の老若男女約70人が通っています。

ビーアイは西公園通りを挟んで西公園を見渡せるビルの2階にあります。30年前、西公園を庭のように使いたいという思いから、現在のビルに入居しました。

広瀬川と青葉山が望める西公園は、仙台市を代表する素晴らしい公園だと思っています。

140年以上の歴史を誇る西公園

「杜の都」の「杜」とは、自然の「森」に対して、人の手で植え育てられた人工林を指します。江戸時代から仙台藩が植林し、育ててきた防風林、防潮林、屋敷林が普及して、仙台は「杜の都」と呼ばれるようになったと言われています。

西公園の歴史は古く、1875(明治8)年、伊達家の重臣、伊達安房、古内左近之助、大内縫殿の3邸の土地(約1万8000㎡)を「桜ヶ岡公園」として誕生したのがはじまりです。やがて1902(明治35)年に「榴岡つつじがおか公園」(東公園)が作られ、この東の公園に対して西に位置することから「西公園」と呼ばれるようになり現在の名称になりました。

さらに時を経て1928(昭和3)年には、東北産業博覧会(仙台商工会議所主催)が西公園を中心に開催されました。博覧会では、農業、畜産、林業、機械土木、運輸交通、電気、科学、教育、アイヌ、鯨の各館のほか、府県別館や音楽堂があり、広瀬川を跨いで空中ケーブルやウォーターシュートなどが設置されました。開催期間は4月15日から50日間で、仙台の人口17万人の時代に166万人の集客があり、宮澤賢治も来たという記録が残っています。

1916(大正5)年には洋風の公会堂が建てられ、昭和初期には動物園が開園、遊具や噴水池、その後も天文台、市民図書館、市民プールなどが設置されました。当時の仙台市民にとっては、西公園が娯楽、学び、憩いの場として親しまれたことと思います。しかし時は流れ、公会堂や図書館、天文台、市民プールなどの公共施設が次から次へとなくなっていきました。

東日本大震災後は「さびれ、放置された公園」に

室内での遊びが主流の現代いまの子供たちにとって、西公園は貴重な遊び場です。外で遊ぶことは、体も頭も自由に解き放されるので、子供時代の外遊びはとても重要です。屋敷林を活かして整備された西公園は、仙台を象徴する屋根のない学びと遊びと語らいのうってつけの公園だと思います。だからこそ、子供たちが自由な発想で遊びを考えます。

西公園では、日頃は地域のラジオ体操、保育園の園児、西公園プレーパークの会、YMCAの少年サッカークラブ、ビーアイなどが常連メンバーとして活動しています。週末ともなれば、家族連れやスポーツを楽しむ人たちの姿が見られていました。ところが東日本大震災を機に、すっかりさびれた公園に変わってしまいました。

2011(平成23)年3月11日の震災発生時、ビーアイでは6人程の就園児のクラスのワークショップを中断して西公園に避難。その後、保護者とともに全員帰宅させました。事務所は、照明器具や鏡が割れる程度の被害に留まりましたが、ライフラインは停止、大きな余震が続く中、外部の状況がつかめずにいました。唯一の情報源は小さな携帯ラジオのみ。ラジオから聞こえてくる「荒浜地区では200人以上の死者が…」という情報を聞いても何が起きているのか理解できず、スタッフらと不安な一夜を過ごしたことが今でも思い出されます。

震災後の西公園は、緊急車両の駐車場となり、石碑などが倒れた危険な場所はブルーシートで覆われ、しばらくは落ち着かない状態が続きました。市は震災対応で公園の管理どころではなく、木々や草は伸び放題、鬱蒼うっそうとして見通しが悪くなった西公園は人も少なく、放射性物質の影響も懸念され、暗く寂しい「忘れ去られた公園」になってしまいました。

「西公園を遊ぼうプロジェクト」を立ち上げる

西公園は仙台市で唯一、青葉山を眺望でき広瀬川のせせらぎが聞こえる公園です。140年という歴史のある公園をさびれた公園のままにしておいてはいけない、改めて市民に魅力を知ってもらい活気を取り戻したいと考え、西公園の歴史や自然、文化などを市民の手で掘り起こす「西公園を遊ぼうプロジェクト」(以下、プロジェクト)を企画しました。プロジェクト名の由来は、「西公園を全部使って遊ぶ!」という意味を込めました。

プロジェクトはビーアイが事務局となり、公園周辺の住民らを中心に実行委員会を結成しました。30~70代までの市民有志約30人が集りました。ビーアイと外部の活動でつながりのある多彩なスペシャリストを講師陣に迎え、2014(平成26)年6月、プロジェクトはスタートしました。

開催日は毎月第4日曜日の午前10時から約2時間。立ち上げの年のテーマは主に私が決めてその道の達人を講師に迎えました。テーマは主に公園の歴史や自然に焦点を当て、仙台の街の成り立ち(地層)の研究や、紅葉した桜の落ち葉で染色するといった公園の資源を存分に生かした内容も盛り込みました。句会やスケッチ会などを実施するほか、冬には木の枝を組み立てて作ったオブジェにロウソクを差して約120個の火を灯す「光のページェント」を行い、子供から大人までに喜ばれました。

2年目は市の公園課と植木市協賛会の協力を得て、震災後初めて作られた花壇に花の苗を植え、広瀬川沿いのフェンスの外のササ刈りや樹木の剪定を行いました。不要な枝や伸び放題の雑草を刈り、ようやく西公園がさっぱり、すっきりとしてきました。

9月には「西公園あったかマルシェ」を行い、5000人の集客がありました。買い物難民だった周辺地域の方々にとても喜ばれました。

12月に実施した「よばなし西公園」では、1928(昭和3)年に開催された「東北産業博覧会」について、商工会議所が保管する絵図を中心に講師が解説。約50日間で166万人の人が訪れ、広瀬川をはさんで対岸まで空中ケーブルがかけられたことや、ウォーターシュートがあったことなどに参加者の誰もが驚いていました。
また、西公園は隠れた「夕日スポット」でもあります。このことがあまり市民に知られていないことから「100万人の夕日を眺める会」を企画。すると50人ほどが集まり、お茶やコーヒーを飲んだり、ハンモックに揺られながら、沈む夕日を自由に楽しんでもらいました。以後、カメラや三脚を手に、夕日を撮影する市民が増えたように感じます。

シンポジウムと養成講座を開催し、西公園ファンを増やす

3年目の2016(平成28)年1月には、プロジェクト主催のシンポジウムを開催しました。テーマは「10万8000平方メートルに描く楽しみのカタチ」で、広大な西公園をフルに使った遊び方や活用方法を、プロジェクトのメンバーや西公園の利用者、市公園課職員らとパネルディスカッションを行いました。100人以上の参加者からは、「広瀬川と青葉山がよく見えるように剪定してほしい」「ベンチやテーブルがほしい」「おしゃれなカフェがほしい」「西公園にしかない歴史を知ることができた」「定期的に市(マルシェ)を開いてほしい」「ありのままの樹木や植物を残してほしい」などの多くの意見や要望が寄せられました。

秋には、西公園の魅力を伝える人材を育てることを目的に、市の協力を得て「西公園フロンティア養成講座」(全4回、各回受講料500円)を実施しました。定員25人のところ、「西公園が好き」「西公園の歴史を知りたい」「知識を深めたい」といった40人近い中高年男女の受講申し込みがありました。

講座の内容は、自然や地形、動植物の他に、土木遺産に認定された「煉瓦下水道」や、桜岡大神宮、蒸気機関車C60型、こけし塔、希少な石碑などについて月に1回、西公園を舞台に専門家の講師から講義を受けます。受講終了後には、修了証書を渡しました。養成講座卒業生には、誇りをもって西公園の魅力をそれぞれの地域や職場で伝えていただくとともに、自主的に公園を活用してもらえることを期待しています。

震災から5年目、活気が戻った西公園

プロジェクト3年目になると、整備した花壇の花が色とりどりに咲き始めました。樹木医を講師に迎え、園内の樹木について学んだところ、樹齢300年を数えるイチョウやヒマラヤ杉など貴重樹木があることも分かりました。また、長年風雨にさらされ、塗装がはがれて腐食が進んだ蒸気機関車C60型(1969年に設置)も市が新たにSL広場として整備しました。

震災から5年が過ぎ、ようやく西公園にも若い親子や学生から大人までの市民の姿が見られるようになりました。何よりも定期的に木々の剪定や草刈りなど、まめに手入れをしてきたことによって広瀬川が見通せる明るい公園に蘇りました。

プロジェクトを開始して3年目あたりから、少しずつではありますが成果が目に見えるようになりました。西公園に賑わいが戻ってきたことで、市の公園課も積極的に西公園に関わってくれるようになり、私たちとも友好な関係が築けるようになりました。

プロジェクトは2017年で4年目に入ります。今後は花壇をより一層充実させたいことと、市民から最も要望の多い、ベンチの設置や日本一美しいトイレ、屋根のあるあずまやのようなお茶を飲む場所を市と共に作っていきたいと考えています。

プロジェクトの目的は子供からお年寄りまで、多くの人に西公園を使ってもらうことです。楽しみ方は個人でもグループでも自由です。そのためにも西公園を中心に、人と人を結ぶ活動を続けていきたいと思います。

■関連サイト
「西公園を遊ぼうプロジェクト」フェイスブックhttps://www.facebook.com/nishikouen/
「ハート&アート空間Be I」ブログhttp://1987bei.blog.shinobi.jp/
「ハート&アート空間Be I」フェイスブックhttps://www.facebook.com/bei1987/

※文中に出てくる所属、肩書等は、取材時のものです。2017年3月掲載

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過去記事一覧
20 下町に残る、手つかずの自然を守り、育てる
19 絵本、ケルナー広場を通して、子供たちの成長を見守る
18 生かされていることを実感 自然と一体になれるサップヨガ
17 震災後、市民の手によって再生された西公園
16 住民の心をつないだ3万個のキャンドル
15 市民がつくり、見守る広場
14 満月BARで公園の非日常を楽しむ
13 わらアートで、地域に笑顔と一体感を
12 再生物語を支えるボランティア組織「MEG」
11 公園が図書館に変わる「敷島。本の森」
10 公園に地域の人が集う「はじっこまつり」
09 トンボの魅力を子供たちに伝える
08 「朝市」で公園がコミュニケーションの場に
07 「スポーツ鬼ごっこ」を通じて 子供たちの居場所づくりを実現
06 高齢者、障がい者に公園案内 ボランティア側も癒される
05 仲間と共に成長してきたみはまプレーパーク
04 地域で子供たちを育成・指導 地元の公園でイルミネーション作り
03 公園がアートな空間に生まれ変わる日 あそびの重要性を考える「アートパーク」
02 子供たちにワークショップで地域貢献 公園での活動は発見の連続
01 自然環境は、利用しながら保全する


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